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【あるひとつの愛の日々】 全13話

【あるひとつの愛の日々】 1

ちょうど今年
私は
父が自殺した歳と同じになった。

父の何十回めかの命日に
父のことを書いておこうと思う。

忘れてしまう前に。

………………………………………………

あの日
すでに気がふれ、狂気の沙汰で
精神病院に入っていた父は

2通の

・苦しみぬいた心が書き殴られた手紙

・死を実行する直前の静寂の心が綴られた手紙

を残して

明け方、病院の窓から飛び降りたのです。

………………………………………………

幼少の頃の私と云えば

父の狂気と暴力の中で
目の前の人生全て
長い長い闇が深過ぎて

それが当たり前の世界で生きていたのです。
 
父の報告を受けたその朝、

小学4年生だった私は
『終わった…』
と、
いつか彼はやるであろうと感じていたことが目の前でおこり

何を1番最初に感じたかといえば

『空虚の安堵』
だったのを覚えている。

『恐怖と苦しみが、今、全て終わったんだ…』

涙など、もう長年出なくなっていた。

殺されるかもしれない程の暴力の恐怖で身体も硬直して
声も出なかった日々

泣いた瞬間
余計に父は狂い暴力が増すから

庭の外壁に付いていた郵便ポストの下でうずくまって
声を殺して震えていたのを覚えている。

『怖い』
という感情などゆうに超えて

終わりの見えない真っ暗闇のトンネルの中で
『自分が存在している意味などどこにもない』
と感じていたように思う。

今日はあと何発の痛みがくるのか…

『なんて世界なんだ』

………………………………………………

その朝は
頭から真っ逆さまに落ちてぐちゃぐちゃの父の様子を聞きつつ、

私は何食わぬ顔をして
ランドセルを背負い学校へ登校した。

誰にも
長年の崩壊した家庭と
狂ってしまった父のことを話すことはなかった。

………………………………………………

父がどんな人間だったかというと

母の話によれば
まともな時代は新聞社に勤めながら小説を書いていたらしい。

東京駅近くだった新聞社の退勤時間にあわせて母は着物を着て
仕事終わりの父と銀座に行ったり
観劇をしていたそう。

小説は直木賞候補作品にもなったらしいけれど
母は大量の原稿もどこかへ処分してしまったようで
実家の引き出しの中には白紙の原稿用紙だけが山積みになっていたのを見たことがある。

私たち子供3人が生まれた頃には、国文科を出ている父は教員をして家族を養っていた。

長男、長女、私
が生まれてからは父はこよなく家庭を愛し、大事にしていた。心から。

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