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【あるひとつの愛の日々】 全13話

【あるひとつの愛の日々】 6

父が飛び降りた時
兄は中学2年、姉は小学6年、私は小学4年

母と我々子供3人は
皆それぞれ
自分の目の前の人生を必死に生きようとしていたと思う。

あの日、父が目の前から居なくなってくれたから

私達は救われた。

あのままの日々が続いていたら
全員がとっくに狂っていただろう。

身の危険のない生活を取り戻した私達は
とにかく力強く生きた。

………………………………………………

それからの私の日々は

それまで感じてきた
心の痛みによる後遺症が待ち受けている道でしかない。

狂った親の姿と
愛情の欠落の中で育った人間の心とは

『こんなにも欠陥だらけなものか』

あまりにも脆い自分の精神の有り様を

社会や人間関係の中で 
ことごとく思い知らされることになる。

誰よりも、スタート地点が遠くて
人一倍乗り越えないと
人並みのスタート地点に立てないことだけは解っていた。

だからこそ
人よりも、物凄い早さで
『自己を俯瞰する』ことを覚えた。

中学1年の頃には 
私はすでにフジサワヨシコという人間を
心から尊敬していた。

それは
爆発的な才能と情熱的な魅力を持つ
父の遺伝子をもつのが【ヨシコ】であるということを
感じていたからかもしれないが

『ヨシコは素晴らしい才能、能力、人間力をもっている。』

『中にいる私が懸命に努力してあげないと、
ヨシコを生かしきることはできないんだ』

と、
はっきり確信していた。 

………………………………………………

年月は経ち、こんなことがあった

ついに、父に一人で逢いに行ったのだ。

私は早期の自立願望により
17歳で高校を中退して美容師の道に入っていて

父に会いに行ったのは
20歳を過ぎた頃。

既に技術者として右肩上がりに実績を上げ始めていて、
後にサロンを店舗拡大する手前の時期だったと思う。

若干20歳そこそこの田舎の女性美容師が
驚異的な売上や年収を上げる事態に
美容業界からの取材オファーや講演の依頼が
次から次へと舞い込んできていた。

私は、赤のフェアレディZだったか
真っ青のコルベットだったか
派手なスーパーカーに
派手な衣装を着込んで

父の居る病院へ向かった。

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