庸至子アレコレ
愛しかのこらない
2025年5月2日 朝
三品 博 永眠
💎💎💎
一代で世界中と取引する
商社の創立者。
私が唯一
『とーちゃん』
と呼んでいた人物。
20年前に知り合って
ずっと
近くにいた人物。
驚くほど
本質的なところでしか人を見ず
人の裸の部分にもどんすかと
アポ無しで堂々と入り込み
侍のような強靭な精神性をもち
20年間のほとんどは
ずっとケンカばかりしていた。
そのケンカといったら
それはもうお互い真剣勝負で
周囲の人々が固まるくらいの
怒鳴り合いになったこともあった。
いつか、
『もう嫌だ‼︎まっぴらごめんだぜ‼︎』
と
私が連絡を途絶えた時には
サロンに突然
でっかい葡萄が大量に入った箱が
送りつけられてきて
辟易としながら中を開けたら
葡萄の上に
ばしーーんと
白い紙が[たとう折り](今どき‼︎)の
【果たし状】
が入ってたことがあった。
💎💎💎
今思い返せば
こんな付き合いできる人間なんて
いるのだろうか。
生きている間
どんな理不尽があっても
どんな損失があった時でも
『藤澤、最後は人間性だからな』
この彼の台詞は
私の耳にタコができるほどに
一貫して伝えられてきた。
そして、
亡くなった今も
その台詞が聴こえてくるようです。
💎💎💎
病床に伏す直前に
『最後にお前の姿を残しておきたい』
と言って
カメラマンを何故か私に手配させた事があった
上がってきた大量のデータを
嬉しそうに眺めながら
『どれもこれも良すぎて選べんぞ〜』
なんて言っていた
そしてまもなく
2年間の病床に伏した。
『俺は死ぬ時は誰にも言わん。
静かーに逝くんだわい』
と、10年前から言っていた。
この事を知れば
世界中、日本中
名だたる人々が駆けつけるであろう彼は
いつも正直者だった。
寝たきりになった姿を
誰にも見られたくない。
もう一度立ち上がって会いに行くんだ
と言って
『誰にも言うな』
とだけ言った。
そんな中
『藤澤に会いたい』
と掠れ声で
私を病室に呼んでくれた。
病室に行くたびに
仕事の話しも
あの頃の真剣勝負のケンカしたことも
なんどもなんども
『楽しかったなぁ』
と
語り合った。
💎💎💎
5月4日
家族葬。
朝、目覚めなかったまま逝った
彼のご遺体は
すでに仏のような美しさだった
御遺族の
穏やかで優しくて
なんとも言えない
あたたかな空気に包まれた葬儀は
家族が流す涙も
頬に触れながらかける言葉も
愛そのもので
『本当に大切な人間に見送られて逝けるなんて、
なによりだわい』
という彼の声が聞こえてくるような葬儀でありました。
💎💎💎
この最上級の最期は
【三品 博】
の
人間性
本質的にもつ愛
そのもの
であるのだと
ものすごい最期を
見せられ
最後の最期まで
私は
彼に教えられ
与えられ
愛を注がれていたことを
全身で感じ
受け取ることとなった。
💎
もう、会えないのか。
💎💎💎
生き様
は
風や空気に乗って
人の心を動かし
震わす
まだすぐ近くに居そうなとうちゃん
あなたに恥じないように
生きてゆくから。
ありがとう。
出逢ってくれて
ありがとう。
尊敬し親愛なる
三品 博 様へ
藤澤庸至子