
【あるひとつの愛の日々】 10
実家では、私の帰りを待って葬儀が執り行われた。 終始、和気藹々としたものだった。 幼なじみが運営していた葬儀場で 母、兄、姉、私達家族は 父…
実家では、私の帰りを待って葬儀が執り行われた。 終始、和気藹々としたものだった。 幼なじみが運営していた葬儀場で 母、兄、姉、私達家族は 父…
そして父は あの日飛び降りてから15年の年月を経て 亡くなった。 危篤と連絡を受けた日から 私は寝る間もなかった仕事スケジュールを2週間空け…
社会人になって数年経っていた私は 必死で自分の人生を受けいれようと背伸びをしていた。 19歳頃には すでに父のことを許していた。 これが自分…
田舎ののどかな精神病院に移送されていた父は 相変わらず童子のままで ほとんど、記憶もない。 言葉も、ほとんど喋れない。 面会室で待つド派手な…
父が飛び降りた時 兄は中学2年、姉は小学6年、私は小学4年 母と我々子供3人は 皆それぞれ 自分の目の前の人生を必死に生きようとしていたと思…
実は父の自殺行為の後には続きがある。 ほとんど、人に話した事がない。 この話は実にめんどうで 『あの日、私の父親はいなくなった』 としていた…
父はとてつもなくロマンチストだった 実家といえば古い荒屋の日本家屋で 部屋という部屋の壁全部が天井まで届く背の高い本棚で埋め尽くされていた。…
幼少期にみていた母の身体には 父の足のサイズ程の 大きな青あざが絶えなかった。 ある日、小学校の夏のプールの帰り道、前から母が歩いてくる姿が…
父は芸術的感性のスケールが大きい男だった 情熱的で 感情的で 喜びも悲しみも怒りも全ての表現が激しくて 全身全霊で 笑い 怒り 悩み 『生き…
ちょうど今年 私は 父が自殺した歳と同じになった。 父の何十回めかの命日に 父のことを書いておこうと思う。 忘れてしまう前に。 …………………
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